ロンドン・パンクの代表格 ザ・クラッシュ。 青春、夢、反戦などを歌い上げ、 世界に向かって激しいパンク・スピリットを見せつけた。
デビューから最初の2作までは、パンクらしい シンプルな3コードだったが、3作目の "ロンドン・コーリング"からレゲエ、ダブ、ジャズ、 R&B、ロカビリー、ファンクなどを取り入れ、 単なるガレージ・ロック・バンドから、パンク精神をもった ロック・バンドへ変化していった。
青臭く真っ直ぐなパンク精神を持ち、 ストリートの若者達の気持ちを代弁した。 破壊する姿勢をもっていた セックス・ピストルズとは逆で、クラッシュは創造する 姿勢をもっており、ジョー・ストラマーの 意欲は最後まで続いた。
ブルース・スプリングスティーン、ストーン・ローゼズ、 パール・ジャム、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、 グリーン・デイ、リバティーンズなど、後に出てくる アーティストに多大な影響を与えた。
メンバー
ジョー・ストラマー・・・ヴォーカル、ギター
ミック・ジョーンズ・・・ギター、ヴォーカル
ポール・シムノン・・・ベース
トッパー・ヒードン・・・ドラムス
「孤独の男が一人 ”誰か愛してくれ” と叫んでいる
ヤツは寂しいからなのさ もし、時間がもっとゆっくり
進むことになったって ヤツはとても長生きしないよ」
By"いかさまカード師"
ジョー・ストラマー
1952年8月21日、ジョー・ストラマーは
イギリス人の両親の元でトルコのアンカラに生まれた。
父親がエリート外交官であり、小さい頃のジョーも
エジプトやメキシコなどを転々としていた。
9歳の頃からイギリスに移住するが、後に父親とぶつかり、アート・スクールを
退学。また、極右団体のメンバーに入っていた
兄が16歳で自殺してしまう。
トイレ掃除などのアルバイトをしながら
路上生活をし、音楽活動を始め(当時は
ローリング・ストーンズの大ファンだった)、
74年にバンド”101ers”を結成。
当時流行りの長髪を揺らしながら、演奏していたが
76年にセックス・ピストルズのギグを見て
衝撃を受け、101ersを解散する。パンク・ロック・バンド
を作ることを決心し、ミック・ジョーンズに誘われ、
”ザ・クラッシュ”の結成に至る。
ミック・ジョーンズ
1955年6月26日、イギリスのロンドン南部ブリクストン
出身。8歳の頃に両親が離婚し、ユダヤ人の祖母に
育てられた。美術専門学校に進学し、
音楽活動を本格的にはじめる。
75年にバンド”ロンドンSS”を結成するも
すぐに解散。
ニューヨーク・ドールズやラモーンズに影響され、
友人のポール・シムノンと共に
新たなバンドを結成する。これが後の”ザ・クラッシュ”
だ。
76年のロンドンで、ジョー・ストラマー、ミック・ジョーンズ、 キース・レヴィン(ギター)、ポール・シムノン、 テリー・チャイムズ(ドラム)の5人によって”ザ・クラッシュ” は結成された。すぐにキースは脱退。
77年、クラッシュはデビュー・アルバム"白い暴動"をリリース。 シンプルに3コードをかき鳴らし、反権力を意識した作品。 白い炎を燃え上がらせた痛烈なデビュー作となった。 その後、テリー・チャイムズが脱退し、 トッパー・ヒードンが加入。
78年、アルバム"動乱(獣を野に放て)"をリリース。 デビュー・アルバムと同様にシンプルなパンク・サウンド で形成されているが、少し重く仕上がっている。 ファースト・アルバムほど成功しなかったが、このことが 次の傑作に繋がることになる。
79年、クラッシュはアルバム"ロンドン・コーリング"をリリース。 ロックにとって激動の70年代を締めくくった 2枚組の大作であり、前2作とは一線を画している。 キーボードやホーンを導入し、レゲエ、スカ、ロカビリー、 ラテン、R&Bなどを取り入れた。 歌詞はもちろんパンク精神が漲っており、当時の若者たちの日常から 兵士や戦争のことまで歌っている。このアルバムで クラッシュは世界規模の評価と人気を得た。 "ロンドン・コーリング"はクラッシュの最高傑作どころか ロンドン・パンクの代表作だ。
ロンドン・コーリングはバンドとしての方向転換の 時期だった。有名なエピソードがある。 80年1月、クラッシュは全英ツアーを行っており、 どこの会場もパンク・キッズであふれかえっていた。 クラッシュは単なるパンク・バンドからの脱却を示唆し ており、"ホワイト・ライオット"のような パンク色の強い曲はやらないとメンバー間で決めていた。 特にミックはその主張が強かった。だが、 あるライヴのアンコールで熱狂するパンク・ファンのために ジョーが禁止を決めていた"ホワイト・ライオット"のリフ をいきなり刻み始め、観客が歓声を上げたため、他の メンバーも仕方なく、"ホワイト・ライオット"を演奏した。 ステージが終わり、控室に着くとミックとジョーが口論を 始め、殴りあいのケンカになった。 このケンカはスタッフによって止められたが、 この当時のクラッシュの状況を表した有名なエピソードだ。
80年、クラッシュはアルバム"サンディニスタ"をリリース。 全36曲を収録した3枚組の大作。ディスコやトラッド、ワルツなど "ロンドン・コーリング"と同様に様々な音楽を吸収している。 ニカラグア革命を起こした左翼勢力の名を冠しおり、 これまで以上に政治的なアルバム。
82年、アルバム"コンバット・ロック"をリリース。 プロデューサーにはグリル・ジョーンズを起用した。 シングル"ロック・ザ・カスバ"が大ヒット。 "ステイ・オア・ゴー"や"権利主張"は後期クラッシュの 代表曲。この年にかねてからドラッグ中毒にあった トッパー・ヒードンを解雇し、テリー・チャイムズが復帰。
83年、テリー・チャイムズがすぐに脱退し、 ピート・ハワード(ドラムス)が加入。 そして、ミックとジョーの方向が明確に分かれ、 ジョーは遂にミック・ジョーンズを解雇する。 その後、ヴィンス・ホワイト(ギター)と ニック・シェパード(ギター) が加入。
85年、クラッシュはアルバム"カット・ザ・クラップ"を リリース。復活を期待されたが、批評でもセールスでも 苦しみ、解散に追い込まれた。そして、同年にジョー・ストラマーは ザ・クラッシュの解散を発表。
99年にすばらしいライヴ・アルバム"ライヴ・クラッシュ"を リリースしている他、ベスト・アルバムも何度か リリースしている。
その後、 02年の11月に 消防士のストライキ支援コンサートで ジョー・ストラマーとミック・ジョーンズは最後の共演を果たした。