パンク・ロックの先鋭者 ラモーンズ。
簡素な曲と最小限のギター・ソロ。 メンバー全員が揃った髪型と名前、 革ジャンと破れたジーンズという バンドの全体的なイメージを 大切にした。
70年代半ばはハード・ロックが流行しており、 「成功したければ長いギター・ソロを弾け」と 言うのがお約束であった。 そのため、シンプルな3コードでスピードのあるメロディを 放つラモーンズの登場は異端であり、 パンクの原点であった。 後のロンドン・パンク・ムーヴメントに多大な影響を与えた と言われている。(ただし、ジョニー・ロットンはラモーンズの 影響を否定している。)
ラモーンズが(テレヴィジョンやトーキング・ヘッズなども) よく使っていたニューヨークにあるライヴ・ハウスCBGBは 現在伝説化されている。
ラモーンズの影響力は巨大であり、U2からマリリン・マンソンまで 様々な時代の様々なアーティストに影響を与えた。 また、以外ではあるがラモーンズは南米での人気が以上に高い。
オリジナル・メンバー
ジョーイ・ラモーン・・・ヴォーカル
ジョニー・ラモーン・・・ギター
ディー・ディー・ラモーン・・・ベース
トミー・ラモーン・・・ドラムス

ジョーイ・ラモーン
1951年5月19日、ニューヨーク出身。
8歳の時に両親が離婚し、
母に育てれれながら、引きこもりがちの少年となる。
その後、ストゥージズなどを聴き、
音楽に夢中になっていく。
74年にラモーンズを結成するが当初は
ドラマーだった。
ディー・ディー・ラモーンが楽器を弾きながら歌えないため
、ヴォーカルに転向し、デビューすることになる。
74年、ジョーイ・ラモーン、ジョニー・ラモーン、 ディー・ディー・ラモーンの3人で ”ラモーンズ”を結成。 その後、トミー・ラモーンが加入し、 76年にデビュー・アルバム"ラモーンズの激情"をリリース。 このアルバムはパンクの基礎を作った名盤として知られ、 ラモーンズの代表ナンバーを収録している。まさにパンク・ロックの金字塔であり、 パンクの始まりを告げた作品。
77年、アルバム"リーヴ・ホーム" とアルバム"ロケット・トゥ・ロシア"を リリース。この2作も名盤でラモーンズの代表作であり、 パンク・ロックのアンセム。ファースト・アルバムと同様にこの2作も リリース当初はヒットしなかった。だが時を経て巨大な影響力を持つことになる。 若きラモーンたちがポップなガレージ・サウンドを押し出している。
78年、アルバム"ロード・トゥ・ルーイン"をリリース。 トミー・ラモーンが脱退し、マーキー・ラモーン(ドラムス)が加入。
79年、アルバム"イッツ・アライヴ"をリリース。
80年、ライヴ・アルバム"エンド・オブ・センチュリー"をリリース。
81年、アルバム"プレゼント・ドリームス"をリリース。
83年、アルバム"サブタレイニアン・ジョングル"をリリース。
マーキー・ラモーンが脱退し、リッチー・ラモーン(ドラムス)が
加入。
85年、アルバム"トゥー・タフ・トゥ・ダイ"をリリース。 これまでのラモーンズと少し違う内容なっており、 80年代のラモーンズの代表作。
86年、アルバム"アニマル・ボーイ"をリリース。
87年、アルバム"ハーフウェイ・トゥ・サニティ"をリリース。
リッチー・ラモーンが脱退し、エルビス・ラモーン(ドラムス)が加入。
エルビスがすぐに脱退し、マーキー・ラモーンが復帰。
89年、アルバム"ブレイン・ドレイン"をリリース。
ディー・ディー・ラモーンが脱退し、C・J・ラモーン(ベース)
が加入。
91年、ライヴ・アルバム"ロコ・ライヴ"をリリース。
92年、アルバム"モンド・ビザーロ"をリリース。
95年、最後のオリジナル・アルバムである
"アディオス・アミーゴス~さらば友よ~"をリリース。
ちょうどこの頃にグリーン・デイやオフスプリングなど
のパンク・バンド(正確にはポップ・パンク)がアメリカで
ブレイクしたことにより、ラモーンズをリクペストするバンド
が一気に現れた。
そして、96年に20年以上同じスタイルを貫いたラモーンズは 解散した。同年にライヴ・アルバム"グレイテスト・ヒッツ・ライヴ"を リリース。
97年にはラスト・ライヴを収録したライヴ・アルバム"ラスト・ショウ" をリリース。また、 ラモーンズはベスト・アルバムを何度かリリースしている。