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マルコム・マクラーレン

ジョニー・ロットン

ロック史上最大の革命、パンク・ロック

ミュージシャンになることはパンクの精神に反しており、 音楽に真剣になった時点で面白さが失われるのがパンク・ロック。

長いリード・ギターを使った大作主義の流行に 逆行するかのようにニューヨーク・パンクは シンプルなコードと即効性スタイルを持ち、 商業主義に陥ることなく、自分たちのロックンロールを貫いた。 ニューヨーク・パンクは大ヒットを飛ばすことなくアンダーグラウンドで活躍を続け、 これらのスタイルがパンク精神を生んだ。

もしもパンク・ロックがニューヨークだけで終わっていたら、 パンクの広がりもパンクの過激化もほぼありえなかった。 パンクの反権力化を押し進めたジョニー・ロットンとそのロットンを バンドに加入させ、パンク・ムーブメントの基礎を作った マルコム・マクラーレンの存在は何よりも大きい。

過激な言動と行動、当時のロッカーとしては異例の短髪、破れたTシャツ、 メッセージ性の強い歌詞、パワフルなサウンド、暴動的白熱のライヴなどの要素を持つのがロンドン・パンク。 ロンドン・パンクは反体制バンドとして 強い自己主張を行い、政府や右翼に 一石を投じた。スキャンダラスな彼らの行動や言動は たちまち英国中を取り込み、ロンドン・パンク・バンドの曲は若者たちに熱狂的に 支持され、トップ・チャートにいくつものシングルとアルバムを送りこんだ。

パンク・ロックは演奏重視、商業主義を破壊し、 ロックンロールを原点に回帰させた。 イギリスではそれまでのハード・ロック・シーンは 姿を消し、パンク・ムーブメントが広がり、 その後の音楽シーンをがらりと変えた。

「女王を批判する奴もキリスト教を批判するやつも 長い間この国にはずっと現れなかった。だったら その役目を俺が引き受けてやろうと思ったのさ」。Byジョニー・ロットン

「例えばレッド・ツェッペリンになるには100年もギターの練習をしなければいけない。 だけど、パンクなら6か月練習すれば誰でもできる」。 Byポール・シムノン

「セックス・ピストルズにはフレアー・パンツを絶滅させたことに 感謝してるよ。ファッション史上、あれほど最悪なものはなかったからね」。 Byポール・ウェラー

ニューヨーク・パンク(New York Punk)

ジョーイ・ラモーン

パンク・ロックは今でこそ反権力的な音楽ととらえられているが、 誕生した頃のパンク・ロックは自分達の音楽を シンプルかつストレートに演奏するといったものだった。 パンク・ロックは70年代半ばのニューヨークで誕生した。 マンハッタンで生まれ、今では伝説化されている”CBGBクラブ”などから 続々とガレージ・サウンドを持つアンダーグラウンド志向のバンドが出現していった。

ニューヨークで様々なパンク・バンドが現れたが、その中でも 最も大きな存在がラモーンズとパティ・スミスだ。
メンバー全員が髪と苗字を揃え、破れたジーンズと皮ジャン姿で ストレートなガレージ・サウンドを演奏したラモーンズは 当時としては異例だった。彼らのポップなメロディを持つ短い楽曲 は大ヒットしなかったが、彼らの音楽とスタイルはパンクの創造に多大な影響を与えた。 ファースト・アルバムからサード・アルバムまでの3枚はパンク・ロックの基礎を作った。「ヘイ・ホー・レッツ・ゴー!!」から始まる"ブリッツクリーグ・バップ"はニューヨーク・パンクの代表曲であり、パンクの象徴曲とも評されている。
ニューヨーク・パンクの女王パティ・スミスは 独自の詩世界とシンプルなサウンドで人気を博し、 アートを意識した彼女の作品は後のアーティストに 多大な影響を与えた。

他にニューヨーク・パンクには文学系パンク・バンドのテレヴィジョン、 マルコム・マクラーレンがマネージャーをしていたグラム・パンク・バンド、ニューヨーク・ドールズ、 セックス・シンボルのデボラ・ハリー率いるブロンディらがいた。
その後はトーキング・ヘッズのようなポスト・パンク 的なアプローチを持つパンク・バンドが現れることになる。

ニューヨーク・パンクはトップ・チャートに入ることはなく、 ブームも起こらなかったが、ロンドンに輸出され、巨大なムーヴメント となる。
イギリスでは国中を巻き込んでパンク・ムーブメントが起こったが アメリカではパンク・ロックはその後も地下で活動し続け、 パンクに影響を受けた過激な反権力バンドが次々と現れることになる。 パンクから進化したハードコアはパンクよりも反宗教、暴力性が増していった。 ブラッグ・フラッグデッド・ケネディーズはハードコア・バンドの象徴であり、 彼らとその他のハードコア・バンドはハード・ロック全盛の時代にメイン・ストリームのバンドとは一線を画し、 アンダーグラウンドで活躍した。

ロンドン・パンク(London Punk)

ジョー・ストラマー

シド・ヴィシャス

70年代半ば、文学不良少年ジョン・ライドンが町でスカウトされ、 後のセックス・ピストルズとなるバンドに加入する。 名をジョニー・ロットンと変え、髪を短く切り、 ファンに悪態をつき、破れたTシャツに安全ピンをつけ、 当時ではありえない反女王、反キリストを掲げた。 これがロンドン・パンクのスタイルとなる。 そんなロットンを見て、クラッシュ、ダムドなどが パンクに転向。いつしかロンドンの若者達は 短い髪型でシンプルなガレージ・サウンドを演奏する バンドだらけになっていた。 これがロンドン・パンク・ムーヴメントの誕生だ。

ローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンといった スタジアム・バンドに共感を得られなくなっていた キッズ達はパンク勢に夢中になっていった。
76年にセックス・ピストルズが反キリスト・ソング"アナーキー・イン・ザ・UK"で デビューし、パンクは絶頂期に達し、英国音楽シーンはパンク・ロックで溢れるようになる。セックス・ピストルズは"さらばベルリンの陽"や"ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン"などパンク史に残る曲をシーンに送った。

左翼思想を持つ情熱的バンド、ザ・クラッシュは荒々しいサウンドと 政治へのストレートなメッセージ、的確にとらえた青春群像などで高い人気を保ち、 ピストルズと双璧をなすパンク・バンドとなる。ジョー・ストラマーを筆頭に彼らはファンとの 交流を大切にし、労働者階級やキッズたちと同じ目線で社会を見て、苦楽を共にした。 セックス・ピストルズが破壊の象徴ならクラッシュは創造の象徴であり、 クラッシュのスタンスはパンク・ムーブメント終息後も様々な社会派バンドに受け継がれていくことになる。代表曲"白い暴動"から始まったクラッシュは熱いパンク・ソングをたくさん生みだした。 また、クラッシュの最高傑作と名高いアルバム"ロンドン・コーリング"は パンク・ロックの金字塔として名高い。

最も早くデビューすることに成功したダムドはパンクを面白おかしく爆発させた。デビュー・アルバムのオープニングを飾った"ニート・ニート・ニート"はいつの時代の若者にも共感されるアンセム。
かねてから活動していたストラングラーズは個性的で他バンドに群れず独自のパンクを浴びせ、 パンクにとらわれないサウンドと過激な活動は様々な場所で物議を醸した。代表曲"ノー・モア・ヒーローズ"のようにフレーズの面白い曲を多数持っている。
ザ・ジャムはモッズ・カルチャーを継承したパンク・ロックを見せ、モッズ復興と パンク・ムーブメント拡大に大きく貢献した。ヒット曲"イン・ザ・シティ"のようにシャープな曲を披露した。
シャム69は労働者階級の不満を爆発させた。"イフ・ザ・キッズ・アー・ユナイテッド"のように彼らはノリのいいパンクを持っていた。
セックス・ピストルズの親衛隊だったビリー・アイドルジェネレーションXを結成し、セクシーなパンク・ロックを魅せた。代表曲は"レディ、ステディ、ゴー"。
自主主義であり、 パンクに美しいメロディを乗せたバズコックスも独自のパンク・ロックで人気を獲得。恋愛パンク・ソングは大いに受けた。

また、パブ・ロッカーのエルヴィス・コステロや初期のポリスも この頃はパンクに分類された。他にもエルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズの"チェルシー"、 ドクター・フィールグッドの"ゴーイング・バック・ホーム"、ギャング・オブ・フォーの"ダメージド・グッズ"、トム・ロビンソン・バンドの"2-4-6-8 モーターウェイ"、999の"エマージェンシー"、マガジンの"ショット・バイ・ボース・サイズ"、ザ・メンバーズの"ザ・サウンド・オブ・ザ・サバーブス"、ザ・ラッツの"バビロンズ・バーニング"、ザ・スキッズの"ザ・セインツ・アー・カミング"など様々なバンドの様々な曲がシーンを色褪せた。

わずか数年で英国のロック・シーンは劇的な変化を遂げ、 「やりたいことがあるなら自分でやれ」という パンク・アティテュード、D.I.Y.精神が生まれた。そして、 後のロックに継承されていった。

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