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パール・ジャム

エディ・ヴェダー

アメリカのオルタナティブ・ロックの代表格であり、 グランジ・ロックの雄 パール・ジャム

90年代前半のアメリカは、不況、離婚、暴力、ドラッグが 充満し、湾岸戦争も含めて、一種の社会混乱が起こっていた。 そのため、80年代後半にみんなが好んだパーティ・ミュージック などに共感できなくなっており、それまでアンダーグラウンド の音楽であったヘヴィで陰鬱なロックが求められるようになっていった。 そんな中現れたのが、シアトルから現れたグランジ勢だった。

パンク・ロックを基調にハードな音楽をスロー・テンポで 演奏したニルヴァーナと違い、パール・ジャムは ハード・ロックを基調にヘヴィで重いサウンドを 披露した。また、内省的なバラードも作り、 名曲"ドーター"などを生み出した。

「どうか俺を捨てないでくれ」、「常に弾を込めてろ」、 「俺の運を奪うな、束縛を解け」 などの怒りや逃避、苦しみを表した歌詞は、 当時の時代の流れに乗って様々な人間に受け入れられた。

ノー・プロモーションでの"Ten"や"Vs."の売上は 驚異的であり、チケットマスターに対しての 価格値下げ争いも有名。
90年代後半からは単なるグランジ・バンドではなくなり、 幅広い音楽性を持つ社会派バンドとなっていった。

メンバー
エディ・ヴェダー・・・ヴォーカル
ストーン・ゴッサード・・・ギター
マイク・マクレディ・・・ギター
ジェフ・アメン・・・ベース
マット・キャメロン・・・ドラムス

「この出会いは俺をおかしくする、俺を変える もう誰も信じない すべてが甦る、難しい状況にある女優が覚悟を決める」
By"アニマル"

パール・ジャム(Pearl Jam)の歴史Ⅰ

パール・ジャム

エディ・ヴェダーはイリノイ州エヴァンストンで生まれ、 サンティエゴで育った。その後、母とシカゴで暮らすが 、音楽活動をするためサンティエゴに戻った。 ライヴ・ハウスで様々なミュージシャンと交流し、 元レッチリのジャック・アイアンズによって 元グリーンリヴァーのメンバーと出会う。 グリーン・リヴァーとはパンク・ロックをくぐり抜けてきた シアトルのバンド。

91年、シアトルでストーン・ゴッサード、ジェフ・アメン、 エディ・ヴェダー、マイク・マクレディ、デイヴ・クルーセン(ドラム) の5人で”パール・ジャム”を結成。 ライヴを20回程こなした後、アルバムを製作。 同年にデビュー・アルバム"テン(Ten)"をリリース。 エモ・メタル・バンドと揶揄されたりしたが、 リリースすると月日と共にチャートを駆け上がり アルバムは大ヒットを記録。 パール・ジャムの生活は一変し、 バンドはアメリカ中に知られることになる。 "テン"のレコーディング後、デイヴ・クルーセンが脱退。 その後、デイヴ・アブラジーズ(ドラム)が加入する。 そして、ニルヴァーナのアルバム"ネヴァーマインド"の大ヒットに よってグランジ・ムーブメントが巻き起こる。

92年。これまでパール・ジャムとニルヴァーナは対立関係にあった。 カート・コバーンはパール・ジャムを「男根ロックのカッコつけ野郎」 と言い、プレスを通じて攻撃を繰り返していた。 パール・ジャム側は元々ニルヴァーナに対して敵意を抱いていなかったが、 カートの批判に愛そうを切らし、 ニルヴァーナを挑発するため、ライヴで "スメルズ・ライク・ティーン・スピリット" のイントロを弾いたりしていた。 しかし、92年のMTVビデオ・ミュージック・アワードで ガンズ・アンド・ローゼズとニルヴァーナの対立が激化したため、 ニルヴァーナは同じグランジ・ロック・バンドである パール・ジャムは和解した。

パール・ジャム(Pearl Jam)の歴史Ⅱ

パール・ジャム(Pearl Jam)

エディ・ヴェダー

93年、アルバム"Vs."をリリース。 "Vs."はパール・ジャムの代表作であり、 最高傑作とも言われる名作。 この頃のパール・ジャムはまさに絶頂期であった。 アルバムの予約枚数は新記録を樹立し、 世界的大ヒットを記録した。 グランジの勢いに負け、ハード・ロック勢は人気低下に 陥り、ファン離れが進んだ。 絶頂期のニルヴァーナはニュー・アルバム"イン・ユーテロ"で "ネヴァーマインド"ほどの大ヒットを記録しなかった(ただし、わざと)。 そのため、この頃のパール・ジャムは”世界一ビッグなバンド”と 言われるレッテルを張られた。

94年、アルバム"バイタロジー(生命学)"をリリース。 グランジ・ブームが終息に向かっていった頃にリリースした アルバム。このアルバムもパール・ジャムの 代表作。 このアルバムの録音中にデイヴ・アブラジーズが脱退し、 ジャック・アイアンズ(ドラムス)が加入した。 ジャックは元レッチリのドラマーだ。
この後、グランジ・ロックだけでなく、 幅広い音楽性を発揮し、政治的な歌詞を描いていく ことになる。

96年、アルバム"ノー・コード"をリリース。

98年、アルバム"イールド"をリリース。 同年にライヴ・アルバム"ライヴ・オン・トゥ・レッグス"を リリース。 そして、ジャック・アイアンズが脱退し、 元サウンド・ガーデンのマット・キャメロン(ドラムス)が加入。

00年、アルバム"バイノーラル"をリリース。
02年、アルバム"ライオット・アクト"をリリース。
03年、トラック集のアルバム"ロスト・ドッグス"をリリース。

04年、"リアヴューミラー"をリリース。パール・ジャム初のベスト・ アルバムとなった。同年にライヴ・アルバム"ライヴ・アット ・ベナロヤ・ホール~Oct.22.2003"をリリース。

06年、アルバム"パール・ジャム"をリリース。 バンド名をそのままアルバム・タイトルに持ってきている。 社会派バンドとして、ブルース・スプリングスティーンや R.E.M.などと反ブッシュ、反戦コンサートをしたりと 政治的なメッセージを発している。

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