ポップ・ノイズを持つグランジ・バンド ダイナソーJr.。
ハードコアとハード・ロックを融合したスタイルに 親しみやすいポップなメロディを展開する。 脱力系のヴォーカリスト、J・マスキスの叫び声は 最高のクールだ。
ジャンルはグランジに分類され、 グランジ・ムーブメントの頃に人気がピークを迎えた。
悩みもがく青年像を捉えた歌詞はすばらしく、
日常の生活や恋愛を描いた歌詞が多い。
しばしば「ニール・ヤングの雰囲気と
ソニック・ユースのサウンドが一体化している」と言われる。
メンバーはJ.マスキス(ヴォーカル、ギター)、 ルー・バーロウ(ベース)、マーフ (ドラムス)であり、 キャリアの途中でルーの代わりをマイク・ジョンソン(ベース)、 マーフの代わりをジョージ・バーズ(ドラムス)がそれぞれ務めた。
「夜じゅうずっと考えていた 誰もが苛々して 人々は傷つき、
それでも正当だと主張する もっと穏やかになれないものだろうか」
By"ブロウイング・イット"

裕福な家庭で育ち、 ブラック・サバスなどの英国ロックを聴いて育った J・マスキスは、高校の頃からバンド活動をスタート。 高校時代に最も影響を受けたのが、 ラモーンズなどのパンク・ロックとブラック・フラッグなどの ハードコアだった。 友人のルー・バーロウらと共に ハードコア・バンド”ディープ・ウーンド”を結成。
その後、本格的に音楽活動を始め、 83年にルー・バーロウと共にバンド”ダイナソー”を結成。 その後、マーフが加入。また、ダイナソーと言うバンドが 他にいたためバンド名を”ダイナソーJr.”と改名。
85年、デビュー・アルバム"ダイナソー"を発表。 ほとんど話題にならなかったが、 確かなファンは獲得し、ソニック・ユースのサーストン・ムーアに 見出される。
87年、アルバム"ユア・リビング・オール・オーバー・ミー "を リリース。「病んだ心」、「陰鬱」などを描いた姿勢は まさに後のグランジだ。
88年、アルバム"バグ"をリリース。 この頃はド派手なヘヴィ・メタル・シーンの全盛期であり、 その現象に反して、ダークな作品。ただし、ハードコアに ポップなサウンドを加えるという姿勢はこの頃から確立していた。
91年、アルバム"グリーン・マインド"をリリース。 このアルバムはダイナソーJrの最高傑作であり、 グランジ・ムーブメント前夜に輝いた究極のグランジ・アルバム。 ポップ・ノイズ全開の"ザ・ワゴン"、 激しいギター・ソロのタイトル曲"グリーン・マインド"、 人生をあきらめながらも前向きに考える"アイ・リヴ・フォー・ザット・ルック" などダイナソーJr.史上最高の名曲達が集結している。 このアルバムによってダイナソーJr.はオルタナ界だけでなく、 世界のロック・ファンに名を轟かせた。 そして、この1年後にニルヴァーナが大ブレイクし、 グランジ・ムーブメントが起こるのだが、 この頃はニルヴァーナがダイナソーJr.の前座をしていたのだった。
93年、アルバム"ホエア・ユー・ビーン"をリリース。 グランジの勃発と共に音楽業界全体に陰鬱な雰囲気が 漂い、それをもちろん意識して作ったアルバム。 そのため前作よりかなり暗い内容となっている。
94年、アルバム"ウィズアウト・ア・サウンド"をリリース。 グランジ・ムーブメント終焉期にリリースされたアルバム。 陰鬱な内容だが社会をおちょくったようなスタンスであり、 前作よりポップ化している。
97年、アルバム"ハンド・イット・オーヴァー"をリリース。
このアルバムをリリース後、ダイナソーJr.は解散した。
06年、オリジナル・メンバーで再結成。 そして、アルバム"ビヨンド"をリリース。 あれから時代も変わったため、サウンドも現代的で 昔のダイナソーJr.の音とはかなり違うが、それでも アルバムの核はダイナソーJr.だ。