ビートルズのアメリカ制覇と共に 様々なバンドがアメリカに進出。アメリカのトップ・チャートは エルヴィス・プレスリーなどの アメリカン・ロックンロールにとって代わって、 イギリスのバンドに支配され、”イギリスの侵略”と揶揄された。 UKバンドによるアメリカ進出とアメリカ・チャートの制覇のことを ブリティッシュ・インヴェイジョンという。
この頃のUKバンドは、当時のロックンロール、ブルース、R&Bを基礎に ポップ色を強めていった。 ビートルズの革新的なポップ・ソング(彼らのサウンドは極めてポップ性の強いブリティッシュ・ビート)は 世界中でかつてない売れ行きを記録した。 ローリング・ストーンズ、キンクス、 ヤードバーズなどの アメリカ黒人のR&Bやブルースをイギリス人が焼き直したブリティッシュ・ビートは アメリカのティーンエイジャー達を熱狂させた。 また、クリームやジョン・メイオール・ブルースブレイカーズ などのホワイト・ブルースは ブルースの発祥地アメリカでも歓迎され、 ザ・フーなどによってモッズ・スタイルもアメリカに輸出された。
ブリティッシュ・インヴェイジョンの影響で世界初のバンド・ブームが起こり、 世界各地にロック・バンドが出現。これが70年代ロック旺盛の時代に 繋がることになる。
62年のデビュー以来イギリスのトップ・チャートを制覇していた ビートルズは、64年にシングル"抱きしめたい"で全米1位を獲得し、 アメリカ・チャートの上位をビートルズの曲が占めるようになる。 64年、65年と全米ツアーを行い、チャートも独占、 一気にビートルズ・フィーヴァーを巻き起こした。
ビートルズの偉業は山ほどあるが最も大きいのは ”バンド”という形体を世界に広めたことだ。 それまではシンガーと演奏者はまったく別物として扱われ、 フロントマンだけがアーティストとして明記されていた。 だが、ビートルズは4人が対等な立場に置かれ、 1つのまとまったロック・グループとして 扱われた。
自分達で曲を作ったことも大きい。エルヴィス・プレスリー以上に バディ・ホリーやチャック・ベリーに強く影響を受けていたジョン・レノンと ポール・マッカートニーは 自分たちで作詞作曲をした。初期の代表自作曲である"プリーズ・プリーズ・ミー"や"ラヴ・ミー・ドゥ"は衝撃を与えたと共に音楽シーンの流れを変えた。その後もオリジナル曲で快進撃を続けていく。 当初はカヴァー曲とオリジナル曲を収録した アルバムをリリースしていたが、後に全曲を自分たちで作り、 抜群のソングライティングで作った傑作をリリースしていった。 そして、ビートルズの影響で自作曲を持つことが当然となり、 後に出てくるロック・バンドもオリジナル曲を量産していった。
63年、ローリング・ストーンズは
デビュー・アルバムが爆発的大ヒットを記録。
当時としてはありえない長髪を揺らし、破天荒な悪態を
つくストーンズは衝撃的だった。
新聞は「あなたは自分の娘をローリング・ストーンズのメンバーと
デートさせますか?」という特集を組んだり
ガソリンスタンドに立ち小便したキース・リチャーズが新聞の一面を飾ったりと、
英国でストーンズは社会現象をと化した。
65年、シングル"サティスファクション"が
大ヒットし、アメリカへの侵攻を本格的に開始。この不良ソングの大ヒットで歌詞に革命が起こり、
以後様々な不良ソング、反抗ソングが現れる。67年、
ミック・ジャガー、マリアンヌ・フェイスフル(当時のミックの恋人)
、キース・リチャーズがドラッグ所持で逮捕(レッドランズの逮捕劇)。すぐ後に
リーダーのブライアン・ジョーンズも逮捕され、この
事件を機に”セックス・ドラッグ&ロックンロール”という言葉が
ロックに付きまとうことになる。
その後、ブライアン・ジョーンズの脱退と死、
”オルタモントの悲劇”など相次ぐ事件が続くがストーンズの
人気は拡大し続け、彼らを真似たバンドが続出し、ロンドン・パンクが現れるまで
ロック・スターは長髪というのが定番化した。
ザ・フーが代表曲"マイ・ジェネレーション"で示したような一般社会の大人への反発、スモール・フェイセス
のような「ヘイ・ベイビー」といった男根主義的な歌詞も
ロックのイメージに定着していった。
ただ、反抗的なバンドだけではなく、
キンクスのような英国らしきスタイルを持つインテリなバンド、
ソウルフルな熱いロックを聴かせるアニマルズなども出現し
あらゆる意味でブリティッシュ・ロックは最盛期を迎えた。キンクスの"ユー・リアリー・ガット・ミー"や
アニマルズの"朝日のあたる家"はブリティッシュ・インヴェイジョンを代表曲。
ブリティッシュ・インヴェイジョンではないが、 ジミ・ヘンドリックスの激しいプレーや レッド・ツェッペリンの破天荒な騒ぎも反抗音楽としてのロックに 大いに貢献した。
また、ベトナム戦争に対してのジョン・レノンやオノ・ヨーコ、 ミック・ジャガーによる反戦スタイルも話題を集めた。 いつしか「ロックンロールはアンダー・グラウンド の人間による平和と楽しさを主張する文化」と いうイメージを持たれるようになった。
60年代のイギリスを一世風靡したユース・カルチャー、モッズ。 モッズは60年代初めの英国で誕生し、 徴兵制と縁がなくなった若者たちを虜にしていった。 彼らは音楽(主にR&B)を何よりも好み、 イタリア制スクーターに乗り、クラブで踊った。
そして、モッズ・スタイルを持つバンドも現れ始める。 その代表格がザ・フーだ。モッズを 継承したスタイル、当時の若者達を代弁する歌詞を もつザ・フーはイギリスだけでなくアメリカでも大ヒットし、 モッズ・カルチャーは世界に知れ渡った。 また、スモール・フェイセス、スペンサー・デイヴィス・ グループもモッズ・バンドとして人気を博した。
70年代に入ると人気が下降するが、 70年代後期にポール・ウェラー率いるザ・ジャムが登場し、 モッズ人気が復興。 ザ・ジャムはモッズ・スタイルを持つパンクを取り入れた バンドであり、一時英国屈指の人気バンドとなった。 また、79年にはモッズを扱った映画”さらば青春の光”が 上映された。