60年代半ばのアメリカ音楽シーンはビートルズのアメリカ上陸と共に ブリティッシュ・インヴェイジョンが始まっていた。 そんな中フォーク・ロックが誕生し、フォーク・ロック・ブームが勃発。 様々なフォーク・バンドが登場し、シーンを盛り上げた。
60年代後期からサーフ・ミュージックがチャートのトップを飾るようになり 、ソフト・ロックが流行。また、サイケデリック・ロックも一大旋風を 巻き起こしてヒッピーから強い人気を得た。
愛と平和を主張するフリー・コンサートも各地で開催された。 67年6月にサンフランシスコのモンタレーで”インターナショナル・ポップ・フェスティヴァル”が 開催され、69年8月にはニューヨーク郊外で”ウッドストック・フェスティバル”が開催された。 また、サイケデリックやヒッピー・ムーヴメントなどがピークに達した 67年の夏は”サマー・オブ・ラヴ”と言われている。
70年代が始まるとイギリスからハード・ロック勢が侵攻してくるが、 アメリカではシンガーソングライター・ブームが到来。 このブームの前後にはアメリカ南部のルーツ・ミュージック (サザン・ロック)も流行した。 70年代半ばにはカリフォルニア出身のバンドによる ウエスト・コースト・ロックも人気を博した。
60年代、世界に衝撃を与えたフォーク・ロックの誕生。
65年にボブ・ディランのフォーク性とビートルズのロック性の融合を
目指したバンド、バーズのデビュー曲"ミスター・タンブリン・マン"(ディランのカヴァー)が
全米1位を獲得し大ヒット。
そして、その2か月後に
ボブ・ディランがシングル"ライク・ア・ローリング・ストーン"を
リリース。エレキ・ギター使い、ボロボロの若者を前向きにさせる歌詞を持つ
この曲はロック史上最大の革命ソングとなった。
元々フォークに限界を感じていたディランらがビートルズに影響を受け、エレキ・ギターを手にして
それまでのフォークをロックと融合したことでフォーク・ロックが誕生していった。
従来のフォーク・ファンは激怒し、ディランにブーイングを浴びせるも
フォーク・ブームは加速し続けた。
サイモン&ガーファンクルが"サウンド・オブ・サイレンス"を大ヒットさせ、 ママス&パパスやラヴィン・スプーンフルなども大ヒットを飛ばし、 67年までフォーク・ブームは全盛を迎えた。
イギリスではフェアポート・コンヴェンションがブリティッシュ・フォーク・ロックの 代表格として活躍した。
また、クロスビー、スティルス&ナッシュのデビュー・アルバムも フォーク・ロックであった。

60年代後半、ヒッピーの聖地であるサンフランシスコで グレイトフル・デッドやサンタナなど が活躍した。
この頃に魂のシンガーであるジャニス・ジョプリン、 イギリスで活躍後に凱旋帰国して母国アメリカでもブレイクした ジミ・ヘンドリックスが活躍した。
67年にLAからサイケデリック・バンド、ドアーズがデビューし、 瞬くまに人気を獲得。 この年はあの”サマー・オブ・ラヴ”と言われた年。 67年、68年は様々なバンドのサイケデリック・サウンドが人気を博した。ドアーズの"ハートに火をつけて"はサイケデリックの代表曲。
ルー・リード率いるヴェルヴェット・アンダーグラウンドも 活躍。アルバムが大ヒットすることはなかったが、 ダークな作品は後に出てくるアーティストに多大な影響を与えることになる。 ルー・リードはその後ソロとして活躍することに。
60年代前半にサーフ・ミュージックで一世を風靡した ビーチ・ボーイズはソフト・ロックを展開。 ロック史上最大の傑作アルバム"ペット・サウンズ"を世に残した。
また、60年代後半からは白黒混成バンドのスライ&ザ・ファミリー・ストーンが アメリカ人の声を代弁し、人気を博した。"ダンス・トゥー・ザ・ミュージック"は白人の心にも黒人の心にも響いた。
70年代前半はシンガー・ソングライター・ブームが訪れる。 ジェイムス・テイラー、キャロル・キング、 ジョニ・ミッチェル、ニール・ヤングなどが それぞれ大ヒットを記録した。キャロル・キングの代表曲"イッツ・トゥー・レイト"やニール・ヤングの代表曲"アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ"はブームの中で光を浴びた。
70年代前後からアメリカの南部音楽をルーツとした サザン・ロックが人気を博す。オールマン・ブラザーズ・バンドは サザン・ロックの代表格。ザ・バンドやクリーデンス・クリアウォーター ・リヴァイヴァルなどもサザン・ロックを取り入れたサウンドを展開した。
72年辺りからウエスト・コースト・ロックが人気となる。 カリフォルニア出身のバンド、イーグルスやドゥービー・ブラザーズ らがトップ・バンドとなった。イーグルスが76年にリリースした アルバム"ホテル・カリフォルニア"は爆発的ヒットを記録し、 カリフォルニアの終焉を歌ったと共にウエスト・コースト・ロックも 終焉に向かった。
また、この頃ニューオリンズ・ファンクを取り入れたバンド、リトル・フィートも活躍した。
その他に70年代はポップ・バンド、シカゴが活躍し、同じくポップ・バンドの TOTOが70年代後半にデビューした。シカゴは初期のヒット曲"愛ある別れ"からアメリカを代表するバンドとなっていった。
ブルース・スプリングスティーンは75年にアルバム"明日なき暴走"をヒットさせ、 80年代にアメリカを代表するロック・スターとなっていくことになる。