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アラン・フリード ビル・ヘイリー

20世紀最大の音楽にして最大の文化”ロック”。 1950年代の半ばに誕生したこの音楽は 瞬く間に世界を取り込み、世界を酔わし、 震わせ、激情させた。

第2次世界大戦後、先進国は大衆消費社会へと移行し、 その代表国がアメリカだった。テレビや映画が発達し、 人々は娯楽に酔いしれ、音楽もまた当時の人々にとって 最大の娯楽であった。そして、アメリカ黒人達が 創造したロックをアメリカ白人が真似して歌い、 世界中に輸出することになる。

ロック初期の歴史

50年代初頭、フランク・シナトラのような白人歌手による ポピュラー・ソングがチャートを支配していた。その頃に 黒人たちはリズム・アンド・ブルース(R&B)を演奏し、 彼らの音楽は徐々に白人のティーンエイジャー達に浸透していく。 51年からラジオDJのアラン・フリードが番組”ムーン・ドッグズ・ロックンロール ・パーティ”でロックンロールという言葉を使い、白人ティーンエイジャー達に 黒人のR&Bソングを紹介し始めた。

そして、1955年がロックにとって本当の始まりと言われている。 この年に映画”暴力教室”と共に主題歌"ロック・アラウンド・ザ・クロック" (リリースは54年) が大ヒット。ビル・ヘイリー&ザ・コメッツがリリースしたこのR&Bソングは ロックンロール初の大ヒット曲となった。そして、アメリカ、ヨーロッパで ロックンロール旋風が巻き起こっていき、ロックは”若者文化”、”現代大衆文化”の 象徴となっていくことになる。
ロックンロールという言葉はもっと昔から黒人たちの間で「楽しく過ごす」という意味 で使われていたものだった。それを知ったアラン・フリードがラジオで使うようになって ロックンロールという言語が広まっていった。

エルヴィス・プレスリー

チャック・ベリー

56年、エルヴィス・プレスリーが登場する。 エルヴィス初のヒット曲"ハートブレイク・ホテル" が全米8週連続1位を記録。セクシーな姿で腰をクネクネさせながら歌う エルヴィスの姿にティーンエイジャー達は夢中になり、戦争を経験した者や大多数の年配者は 難色を示した。
そして、 様々なロック・リフを作り、10代の少年に受ける歌詞を描いたチャック・ベリー、 派手なアクションを持ち、ピアノ・サウンドを自在に操るリトル・リチャード、 "サマータイム・ブルース"などが有名なロカビリーの大スター、エディ・コクラン、 ブルースを歌うロック・シンガー、ボ・ディドリー、 エルヴィスと並ぶ白人ロックンローラー、バディ・ホリー、 "火の玉ロック"で知られるジェリー・リー・ルイスなど様々なロック・アーティストが 現れ、ロックンロールの主流音楽となっていく。

その中でもチャック・ベリーとバディ・ホリーは後に出てくるロック・バンドに多大な影響を与えた。 チャック・ベリーはブルース、ジャズ、ラテン、カントリーなどを融合したギター・サウンドに 女の子や学校、車という少年が興味をもつ歌詞を乗せ、数々の名曲を作った。 バディ・ホリーはリード・ギターとリズム・ギター、ベースとドラムスという ロック・バンドの基本スタイルを確立した先鋭者だ。

55年から一気に世界を圧巻したロックンロールだったが、58年~60年の3年で一度 ロックンロール・ブームが収まることになる。 58年からエルヴィス・プレスリーが軍に3年間入隊。 そして59年、バディ・ホリーが飛行機事故で死亡する。また同年にチャック・ベリーが 逮捕され、刑務所生活を強いられる。エルヴィス、バディ・ホリー、チャック・ベリー というロック・シーンの顔である3人の姿がなくなり、特にバディの事故死は深い傷を残した。 59年という年は”ロックンロールが死んだ年”とも言われている。 また、60年にはエディ・コクランが自動車事故で死亡した。

その後、ロイ・オービソンが"オンリー・ザ・ロンリー"を大ヒットさせ、 ベン・E・キングが"スタンド・ベイ・ミー"を大ヒットさせた。 そして、アメリカン・ロック・シーンに活気が蘇ってきた頃にビートルズが現れ、 ブリティッシュ・インヴェイジョンにアメリカ中が飲み込まれていくことになる。

この後、次第にロック・ミュージックは”ロックンロール”という 言葉よりも”ロック”と いう言葉が一般化していく。ただし、現在でもロックのことをロックンロールという言葉で好んで 使う者も多い。

ロックの歴史

ロック草創期のアーティスト一覧

ロックの歴史